空海、宮中真言院において真言法を修せんことを請う 空海は、自分の死後も人々が幸福であるためには、国の安定が必要と考え、国家安寧のための祈祷会を計画したといわれています。 当時、宮中では正月の1〜7日までは神式による祈祷、8〜14日までは仏式による祈祷が行われる慣しとなっていました。 空海は、これらとは別に密教による祈祷を8〜14日に行いたいと上奏しました。 この密教による祈祷は「後七日御修法」と呼ばれています。