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大学時代の空海

この当時、大学のあった場所が奈良だったのか、長岡京だったのかははっきりとしていません。
また、この時代の大学は、科(道)がいくつかあったようです。
・明経(みょうきょう)科…行政を学ぶ
・文章(もんじょう)科…詩文や歴史を学ぶ
・明法(みょうほう)科…法科に近く、律令国家の律令を学ぶ
・算(さん)科…天文暦学を学ぶ

空海は明経科の科試に合格して学生となりました。
明経科では、周易、尚書、周礼、儀礼、礼記、毛詩、春秋左氏伝、孝経、論語の本文と注釈を学びます。
注釈は注釈を研究するのではなく、暗記が重視され、勝手な注釈は一切許されていませんでした。

当時、大学の教授は博士と呼ばれ、明経科の博士は偶然にも同郷の讃岐国寒川郡出身の岡田牛養(うしかい)でした。
空海は、この岡田牛養から春秋左氏伝を学び、直講の味酒浄成(まさけのきよなり)から毛詩や尚書の五経を学びました。

空海の大学時代の先輩には大伴国道や菅原清公、同期生には藤原冬嗣や藤原緒嗣、後輩には小野岑守らがいたと考えられる。
彼ら全員が後に政府の高官となり、また空海とともに嵯峨天皇の宮廷サロンを形成していたことを考えると興味深いものがあります。



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