空海、大僧都に任ぜられる 大僧都(だいそうず)とは、僧綱のひとつで、官僧の職の最上位のことです。 この大僧都には、天長3(826)年に空海の師である勤操が着いていましたが、天長4(827)年5月に74歳で亡くなっており、その後を空海が継いだかたちとなっています。 勤操の一周忌法会にあたって、空海は表白を撰し、勤操の影像の讃文を作っています。