江戸のむかし、阿波の国の国府(現在の徳島市国府町)に、忠三郎という、たいそう変わり者で有名な人形師がいました。
阿波浄瑠璃の木彫りの人形のことをデコということから、この忠三郎は「阿波のデコ忠」と呼ばれていました。
デコ忠がつくる人形は、とても顔の表情がよく、普通に売られる人形と比べると何倍も高い値段がつきましたが、たいそう評判もよく、どんどん売れておりましたそうな。
そこでデコ忠は、阿波でも有名な大金持ちになってしまいました。
しかし、デコ忠はお金にはあまり興味がありませんでした。
さて、ある時、デコ忠は、足が不自由なお遍路さんを見かけました。
足をひきずり、苦労しながら四国八十八ヶ所のお寺めぐりをしているそのお遍路さんに、デコ忠はお米を一俵プレゼントしました。
お遍路さんはありがたく受けとりましたが、重すぎて持ち歩くことができません。
そこでこのお遍路さんは、3ヶ月も同じ宿に泊まり、くる日もくる日も毎日、満腹になるまでお米のごはんを食べたということじゃそうな。
今も、デコ忠の旧居の址は徳島市国府町和田に残っています。
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