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空海、歴史の表舞台に登場!

空海を乗せた第1船は、10月3日、福州に到着しました。
しかしこの福州でも、一行の苦難は続きました。

大使の藤原葛野麻呂がいたにも関わらず、国書も印符もないために一行は罪人扱いのまま上陸も許されず、船も閉め出され河畔の砂上で留め置かれてしまいます。

唐では文章によって相手がどのような人物であるかを判断する習慣がありました。

大使の藤原葛野麻呂は、福州の地方長官である閻済美(えん・せいび)に何度か文章をもって交渉しましたが、まったく相手にされなかったようです。

困り果てた藤原葛野麻呂は、空海が名文家であることを聞き及び、「自分に代わって書いて欲しい」と頼みました。

この時に、空海が書いたのが論理的にも文飾的にも類稀な名文章といわれている「大使の為に福州の観察史に与ふるの書」です。

これを読んだ閻済美は感嘆し、即座に上陸を許可しました。

まさに空海の書いた一篇の文章が、遣唐使一行の命運を開いたのです!
この出来事により、まったくの無名だった空海は歴史上の人物として突如、表舞台へ現れることとなりました。

この福州で、空海が初めて入った寺院が開元寺です。
開元寺では、現在、空海の立像や坐像が建立されて、多くの観光客が訪れています。



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