「一難去って、また一難」
閻済美が派遣した使者が39日後、「藤原葛野麻呂の一行を国賓として礼遇するように」との勅命を持ち帰り、空海一行の待遇は一段と良くなりました。
そして、いよいよ長安からの勅使が一行を迎えるためにやってきました。
しかし、長安に行けるのは一行約120人全員ではありません。
しかも、長安へ上る使節団の人選は、藤原葛野麻呂の権限ではなく、閻済美の権限でした。
最初、閻済美が作った使節団の名簿の中に空海の名前はありませんでした。
その理由は、空海の能力を高く買った閻済美が、空海を自分の元に留めたいと願っていたからといわれています。
空海にとっては、ここで抑留されれば何のために唐までやって来たかわかりません。まさに「冗談ではない!」といったところでしょうか。
そこで、今度は遣唐使一行を救うためではなく、自分のために閻済美に対して、もう一度文章をかきました。
ここでも見事に閻済美の心を動かす事に成功した空海は、やっとの思いで長安への使節団23人目として滑り込んだのです。
そして、11月3日、一行は長安へ向けて福州を出発しました。
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