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国家鎮護の修法

平城上皇が天皇の時代より寵愛を受けていた藤原薬子は、平城上皇の復位を目論んで平城上皇と嵯峨天皇を対立させました。
この「薬子の乱」は、嵯峨天皇が勝利しましたが、空海はこれを利用して桓武天皇崩御の後、政変続きで混乱した国家を鎮めるために修法をしたいという上表文をたてまつりました。

嵯峨天皇はこの空海の提案に感動し、とりあえずの費用として綿一百屯の下賜と七言八句の詩一首を空海にあたえました。

空海は門人を率いて高雄山寺で国家鎮護の修法を始めました。
祈祷は6年間の予定として、終了するまでは高雄山を出ないとしました。
しかし、この翌年に空海は嵯峨天皇の命令により、山城国の乙訓寺(おとくにでら)の別当となり、高雄山を出て乙訓に移ってしまいました。

日本において誓いや約束が厳密になるのは、鎌倉幕府時代からといわれ、表向きの表現として漢文的表現が用いられていたその当時の習慣では誓いや約束を守るのに厳密である必要はなかったようです。

何はともあれ、この高雄山寺での国家鎮護の修法によって、一連の政変で乱れた人々の心に落ち着きを与えた空海は、全国区の人気を得たとされています。



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