昔むかし、戦国時代、「はがたい」という立花城主の娘がおった。
立花城は天正14年(1586)、豊臣秀吉軍に攻められ落城し、はがたいは家族と猿谷(現在の仙波)へ逃げ落ちておったそうな。
その後、男勝りに育ったはがたいは男装して、関が原の戦いに東軍の一員として加わり、大活躍をしたそうな。
褒美として、馬の角と壺を賜ったはがたいは、無事広田村に戻って暮らし始めたそうな。
ところが、はがたいの活躍を耳にした村人達は、いつか自分たちがはがたいに襲われるのではないかと恐れるようになり、慶長16年5月13日に、寝ていたはがたいに襲いかかり、竹やりで目をついて殺してしまったそうな。
はがたいは、片目のへびに生まれ変わって村人達を七生怨むと言って死んでいったそうな。
それからしばらくすると、村に片目のへびがたくさん出てくるようになった。
この片目のへびを見かけた村人は次々と病に倒れたり、怪我をしたそうじゃ。
はがたいのたたりを恐れた村人達は、自分達の行いを悔いて、祠を建てて芳我大明神としてはがたいを祀ったそうな。
はがたいの持ち帰った馬の角と壺は、今も仙波正八幡神社に宝物として祀られておるそうじゃ。
|