昔むかし、時の天皇、第19代允恭(いんぎょう)天皇には九人の子供がおった。
その中で皇太子の木梨之軽皇子(きなしのかるのみこ)は、大そうな美男子で心もやさしくかったそうな。
また、その妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)は、たぐいまれな美しい姫じゃったそうな。
二人は小さな頃から仲が良く、何をするにもどこへ行くにも、いつもいっしょじゃったそうな。
そしていつしか二人は、実の兄妹でありながらお互いに愛し合うようになってしもうたんじゃそうな。
当時、母の違う兄弟姉妹の結婚は許されておったものの、母を同じくする二人は許されるどころか、罰を与えられることになってしもうた。
ついに二人は捕えられ、兄の木梨之軽皇子は伊予国道後へと流されてしもうた。
しかし、離れ離れになった二人の思いは、ますます燃え上がるばかりじゃったそうな。
ある日のこと、厳しい監視の目を逃れて、大郎女が軽皇子を追って伊予へとやってきた。
皇子は大喜びして、二人は人目をしのんでこの地にひっそりと暮らし始めたそうな。
けれど、しばらくすると、都から追手がやってきたそうじゃ。
二人は道後を後にして、やっとのことで姫原まで逃げてきたそうな。
しかし追手の追及は厳しく、二人は追い詰められると、もはやこれまでと思うたのじゃろう。
軽皇子は腰の剣をぬいて妹の大郎女の胸を突き、自分ものどを貫いて死んでしもうたそうじゃ。
現在も、この姫原には、二人の悲恋を哀れんで建てられた比翼塚がひっそりと残っているそうな。
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