江戸時代のことじゃ、阿波藩の家老・稲田九郎兵衛の身内に稲田三郎兵衛というお侍がおった。
この三郎兵衛、腕がたつことをいつもハナにかけて、みなから嫌われておったそうじゃ。
ある夏の晩、三郎兵衛がいつものように寺島の屋敷に家来たちを集めて、軍書の講釈をしていると、縁側のはしにふだん見かけない坊さんが座っておった。
家来たちが取り押さえると、坊さんの着物のすそがまくれ、しっぽが飛び出した。
狸が坊さんに化けておったのじゃ。
坊さんに化けておった狸は、三郎兵衛の前へ手をついて
「私は三百年も前から、ここの屋敷に住みついている狸でござります。戦国時代の話が聞こえてきたもので、つい昔のなつかしさのあまり坊さんに化けて出て参りました。どうぞご勘弁下さい。」
と謝ったそうじゃ。
三郎兵衛は気をよくして、
「そうか。拙者の話を聞きにくるとは、なかなか感心な狸じゃ。これからは遠慮せず、いつでも聞きに来るがよい。」と言ったそうな。
それからというもの、三郎兵衛の講釈が始まると、狸は坊さんに化けて話を聞きにくるようになったそうじゃ。
そして、ある秋の晩、狸が三郎兵衛の居間へ訪ねてきて、話を聞かせてもらったお礼に見事な小刀を差し出したそうじゃ。
ところが、武士の礼儀を知らなかった狸が、刀のつかを手前にして、さやの方を三郎兵衛へつき出したために、三郎兵衛は狸が自分を殺しに来たと勘違いして、狸の持ってきたその刀で狸を斬り殺してしもうたんじゃと。
それ以来、三郎兵衛に次々と奇妙な災難が降りかかり、ついには、足腰が立たなくなる病気にかかってしもうた。
三郎兵衛には子がなかったので、養子をもらったのじゃが、その養子も出来が悪く、とうとう蜂須賀のお殿様から家をとりつぶされてしもうたということじゃ。
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