昔むかし、土佐山内家の家臣に佐々覚左衛門という武士がおった。
ある時、覚左衛門は殿様のおともで江戸にのぼることになった。
甲浦(かんうら)から船に乗ってしばらく後、急に船が動かなくなった。
海を見ると、無数の大きなフカが行く手をさえぎるように泳ぎ回っておった。
「しまった、フカに魅入られたか…」
昔からフカに魅入られると人身御供を捧げなければならぬそうじゃ。
船に乗っている者全員の手拭いを海に放り投げ、フカがくわえた手拭いの持ち主が人身御供となる慣わしじゃった。
はたしてフカがくわえたのは覚左衛門の手拭いじゃった。
覚左衛門は大きく笑い、「武士がフカに魅入られるなどばかげた事じゃ、たかが魚のくせに、無礼千万!」と自慢の弓をひきしぼり、一番大きなフカめがけて矢を射った。
みごと、矢はフカに命中し、無数のフカは逃げ去っていった。
覚左衛門は勇気ある武士とみんなから誉めそやされ、お殿様からもたくさんのほうびをもらったそうじゃ。
3年が経ち、江戸の勤めを終えた覚左衛門は再び土佐に戻ることになった。
帰路、大阪の宿に泊まった時、部屋の床の間に大きな器が飾ってあった。
たいそう珍しいので女中に訊ねてみると、今から三年前、浜に矢を受けた大きなフカがうちあげられ、その骨を飾ってあるのだという。
それを聞いた覚左衛門は大声で笑い、「あの時の大フカか、バカめ、人間様にたてつくと、こういうことになるんじゃ」とその骨を足で軽く蹴飛ばしたそうじゃ。
ところが、その晩から急に覚左衛門の足が痛み出したそうじゃ。
土佐に戻ってからも、痛みはひどくなる一方じゃった。
フカのたたりか、それがもとで、覚左衛門はとうとう若くして亡くなってしもうたそうな。
今も高知市五大山には、覚左衛門の墓が残っている。
|