沙門勝道 空海は、日光開山の祖、勝道のために、「沙門勝道歴山水宝玄珠碑弁序」を撰しました。 下野国出身で、若い頃から仏道修行に励んだ沙門勝道が、天応2(782)年3月苦難の上に男体山初登頂を果たし、その後も中禅寺湖のほとりに住んで周辺の仏教化に務めたことを書いた碑文と序文になっています。 男体山を観音の浄土である補陀洛(ふだらく)山として、勝道自身がそれに挑んだ話を作文してくれるよう、人を通じて空海に依頼したといわれています。