昔むかし、白鳳元年5月に、讃岐の国で流行り病(伝染病)が大流行したそうな。
この地を治めておった和気氏はこのことを憂い、流行り病の根絶を願って、喜徳の地に薬師堂を建立したそうじゃ。
和気氏はこの薬師堂で、一心に念じておった。
するとある時、薬師堂前にある枇杷の木に実がなり、和気氏がその実を病人に食べさせたところ、流行り病で死にかけておった人たちや病に悩んでおった人たちが次々と治っていったそうじゃ。
この噂が当時の天皇の耳に入り、枇杷の実を献上したそうな。
天皇は、とてもお喜びになられて「和気甘露之妙薬也」、「木の徳なり」と申され、それから和気氏は木徳公と呼ばれるようになったそうじゃ。
それ以後、この地を木徳の里と呼ぶようになったそうな。
本尊の薬師如来は、和気善茂がこの枇杷の木で彫り上げて作り、安置されたといわれておる。
この本尊の薬師如来は、今も善通寺市木徳町五泉院に安置されておるということじゃ。
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