異説多々ある空海の得度 空海の得度については、19歳説、22歳説、25歳説などいろいろな説があるようです。 当時、奈良の大安寺の首座だった勤操(ごんぞう)につれられて、和泉国の槇尾山寺で剃髪して沙弥戒を授けられたのは確かなようですが、それは単に外見が僧の形になったということで、当時の国が認める正式な僧として得度したのは「続日本後記」によると31(30)歳の時といわれています。 またこの時、名を「教海」とし、後に「如空」と改めました。