昔むかし、戦国の頃のお話じゃ。
伊予の鬼北(現在の北宇和郡)に、土居清良という豪族がおった。
清良には、乙御前という美しい姫がおったが、縁あって野村の城主、保堂新左衛門のもとに嫁ぐことになったそうな。
いよいよ輿入れという日、土居家では準備万端ととのえて、保堂家からの迎えを待っておった。
ところがどうしたことか、まる一日経っても迎えの一行はやってこなんだ。
乙御前はたいそう気を落として、この世をはかなんで髪を落として尼になってしもうたそうじゃ。
その次の日、もう来ぬものと思っておった保堂家からの迎えが、物々しい行列をなして土居家にやって来た。
保堂家では急に障りがでて、婚礼をするには凶日と占いが出たので日を延ばしたのじゃった。
縁起をかつぐ保堂家に文句は言えず、かといって今さら姫は尼になったとも言えなんだ。
土居家の人々は困りはて、相談の末、乙御前にかつらをかぶせて輿入れさすことにしたそうな。
こうして婚礼は無事とり行われ、祝いの宴は三日三晩続いたそうじゃ。
長い宴に疲れ果ててしもうた乙御前は、ひとり部屋で休んでおるうちに何時の間にかぐっすりと眠ってしもうたそうじゃ。
どれ程経った頃か、何げなくそこへ入ってきた婿の新左衛門は、姫を見てびっくりしてしもうた。
髪の毛が一本もない丸坊主の姫が花嫁衣装を着て寝ておる。
そのそばには、かつらが転がっておったそうな。
保堂家では、尼が嫁とは不吉であると、言い訳も聞かずに乙御前を追い出してしもうたそうじゃ。
可哀相に、今さら家にも帰れずあてどなくさまようた末、乙御前は滝に身を投げて死んでしもうたそうな。
それ以来、誰言うとなくその滝は「乙御前の滝」と呼ばれ、かつらの流れた川を「桂川」と呼ぶようになったということじゃ。
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