乙訓寺別当を辞任
空海は乙訓寺の境内に実った柑子を前年と同じように嵯峨天皇に贈りました。
その時の文章は「性霊集」に「柑子を献ずるの表」として今も読むことができます。
その文章は、唐の玄宗皇帝の誕生日を祝うにあたってその日を千秋節と名づけたことになぞらえて、嵯峨天皇に贈る柑子の数を千個にして天寿を祝い、柑子の色である黄金が不変であることにかけて嵯峨天皇の健康の不変を祝っています。
空海は、嵯峨天皇に2度目の柑子を贈った後すぐに辞表を書き、10月29日に乙訓寺を去り、高雄山寺に戻っていますので、乙訓寺での在住は約1年という短い期間でした。
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