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唐第1の巨刹 西明寺

玄奘三蔵がインド祇園精舎の兜率天の内院を模して建築したとされる中国歴史上最大の寺院である西明寺に、空海が移ったのは2月10日でした。

経典によると、インド祇園精舎の兜率天の内院は36院あり、その中の1院を模したものが西明寺です。

また、奈良時代の日本で及ぶものがないといわれた空海に縁の深い大安寺は、この西明寺の1院を模して建てられた寺でした。

空海が母校のように頻繁に出入りしていたとされる大安寺の本寺ともいうべき長安の西明寺に住むことになったというのも不思議な縁といえるでしょう。

空海が割り当てられた部屋の先住者は、空海と入れ替わりで帰国した在唐30年の日本の僧・永忠でした。

空海は帰国後、この永忠と深い親交をもっていたようです。
永忠は晩年、朝廷からの宗務大臣就任の勅命を断る上奏文を空海に頼んだりしています。

さて、この西明寺の一室に住むようになってからの空海の数ヶ月間の行動はどうだったのでしょう?

「御請来目録」によると、「ここに諸寺を周遊し、師依を訪ひ択ぶ」となっています。

具体的な資料は残されていませんが、この時期、空海は道教、イスラム教、ネストリウス派キリスト教、ゾロアスター教、マニ教など、ありとあらゆる宗派の寺院をまわるのみならず、人口の1%が異国人であった国際都市長安で唐以外にも、インド、アラブ、ペルシア等世界各地の様々な文化を貪欲に吸収消化して、己の血肉としていったのではないかと考えれられています。



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