寺院の新しい流れ
空海は高雄山寺に寺を統括する3名の役職である三網をおきました。
上座を杲隣、寺主を実恵、維那を智泉としました。
当時の寺は、現在のように一寺一宗ではなく、一寺多宗でした。
例えば法隆寺には、三論・別三論・唯識・律の四宗があり、大安寺には、三論・別三論・成実・摂論・修多羅・律の六宗がありました。
宗師(学頭)が専攻の学僧を教えていましたが、学僧が新しい宗師を求めて寺を巡ることは自由でした。
寺院は三宝(仏・法・僧)のものであって、全ての僧に対して平等に開かれていたのです。
したがって、空海が高雄山寺に三網をおいて寺院の運営にあたらせるということは、一寺一宗の流れの先駆けとして歴史上も重要視されています。
完全な一寺一宗制は、この数十年後、東寺にて空海が始めることとなります。
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