嵯峨天皇と空海の蜜月関係
この時期、嵯峨天皇と空海は文雅の友としての交流は密でした。
乙訓寺別当になる前の6月には勅命により、「劉希夷集」4巻・「王昌齢詩格」1巻・「貞元英傑六言詩」3巻などを筆写し、この年に献上ています。
上記の書に加えて、飛白書1巻も献上しています。
この飛白という奇抜な書体は、空海の書風を如実に表す一特徴といわれていますが、後漢の蔡ようが始めたものとされ、空海が独創した書体ではありません。
しかし、日本においては空海以前に飛白体を書く者がほとんどいなかったために、嵯峨天皇にとって衝撃的な印象を与えたのではないかと考えられています。
後に嵯峨天皇は空海の書に傾倒して「御筆」と尊称するようになりますが、その緒が「飛白体」だった可能性もあるそうです。
いずれにせよ、唐風文化を好んだ嵯峨天皇は空海の書と詩文にひかれて、空海と一室で詩や書について歓談する仲であったという文献も残っていたりしているほど仲が良かったようです。
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