空海、綜芸種智院を創立
当時の日本では都に官吏養成の大学があるだけで、一般庶民を対象にした教育施設はありませんでした。
師である恵果がなくなって23年目の命日にあたる12月15日を選んで、庶民階級に対する日本で初めての学校ともいうべき綜芸種智院を空海は開設しました。
場所は東寺の東隣で、二町あまりの用地と五間の建物は藤原三守から寄進されたものでした。
校名の「綜芸」とは「あらゆる学問・学芸」を意味し、「種智」とは「全てを知る知恵」のことです。
儒教・仏教・道教の三教はもとより、陰陽・法律・工学・医学・音楽等を含む芸術や文化が教授されました。
また、授業料は無料で、衣食は給付制でした。
しかし、庶民の大学であったこの綜芸種智院は、資金難のために20年足らずで廃止されてしまいました。
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