藤原北家の高野詣で 空海は、藤原園人の死を悼み、追悼の書を送りました。 興福寺南円堂建立から始まる空海と藤原北家の関係は以後も良好でした。 空海の死後かなり後の話となりますが、藤原冬嗣のひ孫にあたる藤原道長は、治安3(1023)年10月に16名の貴族や僧をひきつれ、高野山に詣でています。 この道長の高野山参詣は、摂関家への道を開いたとされ、以後貴族の高野山参詣が盛んになりました。