昔むかし、阿波の国は「狸の国」といわれ、たくさんの狸が住んでいました。
当時、四国狸の総大将ともいわれていた【六衛門狸】は津田山(現在の徳島県津田町)の洞穴に娘(鹿の子)と息子(千住太郎)と一緒に住んでいました。
その頃、小松島では、若手の一番手として頭角をあらわしていた【金長狸】がいました。
ある時、金長狸はもっと強くなりたいと思い、修業のため総大将である六衛門狸のことろへ弟子入りすることにしました。
金長狸に見どころがあると感じた六衛門狸は、金長狸に対して特別に厳しい修業を与えました。
金長狸も厳しい修行を見事にやり終えました。
金長狸の才能を高く評価した六衛門狸は、自分の娘(鹿の子)の養子にこないかと提案したのでした。
しかし、金長狸は幼い頃から自分を育ててくれた紺屋大和屋茂右衛門への恩義から、この話を断ってしまいました。
すると、六右衛門狸は、「養子の話を断ったのは、金長め、このわしに反逆心があるからだ」と怒りました。
時は天保時代、所は小松島・日の峰山麓にかけての勝浦川河川敷、かくして、六衛門狸と金長狸との間で「阿波狸合戦」が始まったのです。
その戦いは川の両岸が狸の死体で埋まるほど激しく、三日三晩続いたといわれています。
そしてこの戦いに勝ったのは・・・
金長狸でした!
六衛門狸も四国狸の総大将といわれる烈しい強さを見せたものの、討ち死にしてしまいました。
勝った金長狸も合戦で深手を負い、それがもとで、その後、命を落としてしまいました。
この戦いで勝った金長は、正一位を授かり、今も小松島市中田町で『金長大明神』として祭られています。
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