四国の狸の総大将といわれる屋島の太三郎狸のおはなしじゃ。
まず最初は、唐の僧、鑑真和尚が屋島山上の北嶺にお寺を建てた時のお話じゃ。
鑑真和尚は目が不自由で、屋島の山上に来た時は雨が降っておって難儀をした。
太三郎狸は蓑笠を着て鑑真和尚を北嶺に案内して、そしてお寺を建立した。
その跡が屋島の北嶺に残っておって、今でも爽やかな風が1年中吹いておる。
この話が本当じゃが、今では太三郎狸が案内したのは鑑真和尚ではなく、弘法大師を案内したことになっておる。
1100年程前に北嶺から今の場所に寺を移したのは弘法大使なんじゃ。
屋島寺の大師堂と本堂の間に岩があり、そのうえに小さな祠がある。
この祠が屋島狸の住処となっておる。
蓑山大明神として親しまれ、四国の狸の総大将として有名なのじゃ。
家庭円満、縁結び、商売の神様として大勢の人が参ってくれる。
次は屋島寺の雪の庭の話じゃ。
屋島寺に雪の庭があっての、
屋島寺の住職が代わるたびに雪の庭で源平合戦を演じて住職をもてなしたそうじゃ。
今の住職さんは見てないというておるが、そのうち見ることもあるじゃろう。
最後は日露戦争の時のはなしじゃ。
日露戦争のとき、太三郎狸は仲間の狸を指揮して、体の毛を抜いてそれを兵隊さんにみせて大活躍をしたんじゃ。
当時屋島寺本堂の横にある祠の周りに武運長久を祈る小旗が林立しておった。
まだまだ太三郎狸の話はあるがこの辺で終わりにしておこうかのう。
(屋島山上・扇誉亭聞き語りより)
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