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四国昔話八十八ヶ所巡り
当願堂  香川県さぬき市・志度町 当願堂

昔むかし、志度の長行の庄に当願(とうがん)と暮当(ぼとう)という猟師の兄弟が住んでおったそうな。
兄の当願は、豊かな家の娘をめとり暮らしには困らなんだが、弟の暮当は毎日の飯にも困る貧しい暮らしをしておった。

志度寺の堂塔建立の法会があった日のこと、兄の当願は朝からお参りに行ったのじゃが、弟の暮当は妻子の食料を得るため山へ猟に行かねばならなんだ。
弟の暮当は「今頃、志度のお寺ではありがたい説教がはじまっているだろうなあ」と思いながら山の中に在り、兄の当願は「弟め、あの穴場で、獲物を独り占めにして!」といまいましく思っておったそうな。

日も暮れ始め、なんとか今日一日の獲物にありつけた暮当は、ありがたい説教の話を兄の当願にあれこれ聞こうと急いで家に帰ったそうな。
ところが、当願がまだ家に帰ってなかったもんじゃから、当願を迎えに志度寺へ出かけて行ったそうな。
志度寺でぼんやりと座っている兄の当願のそばへやってきて暮当はびっくり。
兄の当願からはなんともいえない悪臭がただよい、腰から下が蛇のしっぽになっておったそうな。

「暮当よ、今日おれはこのありがたい法会の席にありながら、山へ行ったおまえが獲物を独り占めにしておるようで、ねたましく思って、念仏ひとつ唱えなかった。その報いをうけたのじゃ。こんな体では、もう家に帰ることもできぬ。幸田の池へ連れて行ってはくれまいか。」

暮当は、泣き泣き当願を背負って幸田の池まで連れて行ったそうじゃ。

池の中へ入った当願はみるみる全身が蛇の姿となり、池の中へと消えていったそうじゃ。

それから毎日、暮当は幸田の池に兄の当願に会いにいっておったが、どんどん大きくなった当願は大蛇となり、幸田の池では手狭になって満濃池に引っ越すことにしたそうじゃ。
その時に、大蛇となった当願は、弟の暮当に苦労をかけたと、
「この玉をかめに入れて酒を造り、売りに行くがよい。少しはおまえの生活も楽になるだろう。」
自らの目をくりぬいて弟に渡したそうじゃ。

当願の教えどおり、酒を造ってみたところ、よい香りの酒ができた。
売り歩くと評判もよく、少しずつ暮当の暮らしも楽になった。
不思議なことに、この酒は酌んでも酌んでもつきることがなかったそうじゃ。

ことろが、酒蔵のことを不審に思った暮当の妻が、かめの底の玉を探し出し、村の者に話してしもうた。
その噂が領主様の耳に入り、ぜひともその玉を差し出すようにとの命令が下り、逆らうこともできず、泣く泣く差し出したそうじゃ。
玉は、領主から国司へ献上され、「もともとこの玉は双玉といって、もうひとつあるはず。もうひとつの玉も献上するように」とお達しがあったそうじゃ。

この厳命に背けば、生活が成り立たない上に命まで危なくなった暮当は満濃池の大蛇である兄の当願に、事の成り行きを話に行った。

「暮当よ。もうひとつの玉も持っていくがよい。水の底には住みなれて、目の玉がなくても不自由しない。早くもって行くがよい。」
暮当は「兄さん、本当にすまない」というと、その玉を涙で磨いて献上したそうじゃ。
国司からほうびがでたそうじゃが、それを断り、暮当はそれ以来行方知らずとなったそうな。

兄の当願はこのことを知り、大変悲しみ怒り、満濃池の堤を突き破り瀬戸内海の大槌と小槌の島の間(槌の門)まで飛んでいき、それ以来姿を見せなくなったそうな。

しかし、不思議なことにそれ以来、長行の村人が旱魃で困っている時酒を入れた大樽を槌の門に投げ込んで願うと、必ず雨が降ってくるそうな。
当願と暮当の住んでおった家の跡には、今も当願堂があり、雨乞いの堂として祀られておるということじゃ。



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