【特別企画】大宰府の空海
〜讃岐うどんをもたらしたのは、はたして空海か?〜
讃岐うどん起源考 大宰府の空海(草案)
(一)真魚
早朝の勤行を終えそのまま瞑想していたとき、空海は確かにこちらに向かって足早に歩む人の気配を感じた。
2月も末とはいえ、大宰府盆地は底冷えがする。やがて日の差すころ、ここ観世音寺の境内の空気がかすかに揺れ、旅姿の少年が門に立った。
ほどなく前庭に平伏した少年は、本堂の階からじっと見おろす空海に「多度から参りました」と言上した。
「佐伯の者か」
「いいえ、阿刀の末にございます」
少年は顔を上げ、空海を見上げた。幼さがまだ残っているものの落ち着きがあり、目元が涼やかだった。
視線が合った瞬間、空海は不思議な感覚に襲われた。この者はかつての自分であり、この者が見ていたものはかつて自分が見ていたものだ。この者の内なる世界は自分の内なる世界とつながっている。
「名は何と申す」
「真魚にございます」
「真魚?」
「はい。阿闍利さまにあやかれと、大足さまが名づけられたと聞いております」
「大足どのが? で、どこで生まれた」
「奈良でございます。もの心つく前に讃岐に遣られ、阿刀家にて養われてまいりました」
「いくつになる」
空海はしばし遠い奈良の日々に思いを馳せたあと、われにかえった。
「十五でございます」
「十五!」
「はい」
「上がれ。上がってわが房へ来たれ」
きびすを返そうとしたとき、空海は真魚のうしろに控えるように坐っている犬に気づいた。息の浜の船宿の飼い犬だが東長密寺に居つき、番犬として重宝していたものだ。
真魚は「那の津からついてまいりました」と言った。
(二)東長密寺に続く |
本サイトは『麺の世界』奥山忠政編集長と共同で、物語「大宰府の空海」のネット制作に挑戦中です。
上記は奥山忠政編集長による第1回目の粗筋(草案)になります。
時代考証を含め、皆様からのご意見・アイディア等お待ちしております。
下記の条件をご承諾の上、お気軽にご参加下さいませ。
メールを送って頂いても結構ですし、、「大宰府の空海」専用ブログに書き込んで頂いても結構です。
よろしくお願いします。
応募(参加)条件は以下のとおりです。
(1) 粗筋に直接・間接関連する史料などを具体的にお示しいただくこと。
(2) 「物語」としてのアイデイアや遣り取りの具体案をご提案いただくこと。
(3) 構成・執筆は奥山忠政氏にご一任いただくこととし、著作権の同氏帰属をご承認いただくこと。(権利関係を複雑にしないためです)
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(5) 制作の途中経過は随時公開します。
2007年10月13日 初代先達 真魚
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