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中国密教界最高権威・恵果との出会い

密教には二つの体系がありました。
宇宙の真理をつかむための実践的修行方法を中心とした精神原理を説く金剛頂経系の密教と、物質原理を説く大日経系の密教です。

金剛頂経系密教は金剛智というインド僧が伝え、大日経系密教は善無畏というインド僧が伝えました。

金剛智は、金剛頂経系密教を不空に伝え、不空は恵果に伝えました。
大日経系密教については、善無畏の弟子玄超が恵果に伝えたといわれています。

つまり、恵果はインド本国にあってさえ別々に発達してきた二つの密教体系を一身に受けた初めての人で、中国密教界の頂点に立ち、青龍寺で1,000人もの弟子をもっていました。
当時の長安で、密教界の最高権威者といえば「恵果」だったのです。

仏教に関係する長安の僧で恵果を知らない者はいませんでしたし、空海も恵果のことは当然聞き及んでいたでしょう。

現実、恵果について詳しい人物が空海の住む西明寺にもいました。
志明と談勝の二人です。

空海の渡唐目的は密教の伝法を受けることであったとされています。
本来であれば、長安に着いてすぐに恵果を訪ねてもおかしくありませんが、空海はそうはしませんでした。

すぐに訪ねるどころか、西明寺に住むようになってから4ヶ月以上(長安入りしてから6ヶ月)もの長い間、空海は恵果を訪ねることはありませんでした。

はたしてその理由が何だったのか?
諸説はいろいろありますが、今も空海の謎のひとつとなっています。


空海は、恵果に会うまでの僅か数ヶ月間で梵語をマスターしたとされています。
空海自身が書いた「秘密曼荼羅教付法伝」には、密教の原語である梵語(サンスクリット語)を習得するために、醴泉寺(れいせんじ)のインド僧般若三蔵と牟尼室利(ムニシリ)三蔵に学んだ、とあります。
空海の天才ぶりに感銘を受けた般若三蔵は自らが牟尼室利三蔵と漢訳した経典類を多数授けたりもしました。

さて、「御請来目録」によれば、空海が長安の諸寺を歴訪している時に偶然恵果に会い、その後、前述した志明と談勝を含む5、6人の西明寺の僧たちの仲介で青龍寺の恵果のもとへ出かけたと書かれています。

そして、恵果は空海を見るなり、笑みを含んで歓喜して「私はあなたが来るのを以前よりずっと待っていた。今日こうして会うことができてとても嬉しい。自分は寿命が尽きようとしている。しかしながら法を伝えるべき人がいなかった。さっそくあなたに密教の全てを授けよう」と、言ったそうです。



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