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第1回 【中国福建省開元寺の開運御守
【空海ゆかりのおもしろグッズ】第1回目にご紹介するのは「中国福建省開元寺の御守」です!
空海が唐に渡って、最初に入った寺院である開元寺は中国福建省の省都・福州市にあり、福州市に現存する最古の仏教寺院です。
549年(南朝梁太清3年)に建設され始めた当初は『大雲寺』と名づけられ、 唐代初期は『竜興寺』と呼ばれましたが、738年(唐代開元26年)に玄宗によって『開元寺』と改められました。
※開元寺境内にある概要案内図→


804年(延暦23年)6月肥前国田ノ浦(長崎県平戸市大久保町田ノ浦)を空海を乗せ出航した第16次遣唐使船4艘は、途中暴風雨に遭い、うち2艘は消息を断ち、空海の乗った第一船は34日間漂流したのち、
当時の地名で「福州長渓県赤岸鎮己南ノ海口」(現在の福州市から北へ約250キロに位置する海岸)へようやく辿りつきました。
漂着した浜には空海漂着記念碑と東屋があるだけだそうですが、ここにも毎年多くの信者の方がお参りに来られているそうです。
この浜に着岸した空海をのせた第一船は、この後赤岸鎮から追われるようにして
福州の観察処置使閻済美(えん・せいび)のところへ向かうことになります
福州では、大使の藤原葛野麻呂が同船していたにも関わらず、国書も印符もないために一行は罪人扱いのまま上陸も許されず、船も閉め出され河畔の砂上で留め置かれてしまいます。
ここで一行の命運をい開いたのは、当時無名の留学生として一行に加わっていた空海が大使に代わって書いた上申書(『大使の為に福州の観察使に与ふるの書』)の文章の壮麗さであったというのは有名な話です。
現在でもその苦境を乗り越えた空海にあやかろうと、日本人も含め多くの人が福州開元寺を訪れます。


また、寺院内には恋愛、招財を成就させるという「四面仏」が祀られており、休日ともなるとカップルや仲間で訪れる人が絶えません


この空海ゆかりの開元寺の高僧が特別に監修して、職人さんがひとつひとつ手彫りで僅か5cmの大きさに仕上げた蓋付のかわいい御守が「中国福建省開元寺の開運御守」。
しかし、小さいからと侮るなかれ!
この御守は、作製後に開元寺にて特別に祈祷して頂いているという、ありがた〜い代物なのです!
一生を通じて空海のまわりを神秘的に包んでいた幸運が、あなたの上にも降りそそがれるかもね!



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