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空海年表

西暦

元号
年齢
事柄
774
宝亀5
0
讃岐国多度郡に誕生
788
延暦7
14
この頃阿刀大足について儒教を学ぶ
791
延暦10
17
大学明経科に入る
793
延暦12
19
この頃「虚空蔵求聞持法」を知る・大学を退学し、私度僧となる
797
延暦16
23
「三教指帰」を著す
798
延暦17
24
和泉国横尾山寺に於いて沙弥となり、名を教海とする
(後に如空と改める)
800
延暦19
26
大和国久米寺で密教経典「大日経」を発見する
804
延暦23
30
4.9.東大寺戒壇院で得度
 
5.12.遣唐大使藤原葛野麻呂の船に乗り、難波を発つ
 
7.6.肥前田浦を出航
 
8.10.赤岸鎮に着く
 
10.3.福州に到る
 
11.3.大使一行とともに福州を発つ
 
12.23.長安に到る
805
延暦24
31
2月、西明寺に移る
 
5月、青竜寺に恵果を訪ねる
 
6月、恵果より胎蔵界の灌頂を授けられる
 
7月、恵果より金剛界の灌頂を授けられる
 
8月、恵果より伝法阿闍梨の灌頂を授けられる
806
大同1
32
1.17.恵果の碑文を撰す
 
1月、帰国を申請
 
4月、越州に到り、内外の経典・書籍を収集
 
8月、明州を発ち帰国。大宰府に着く
 
10.22.「請来目録」を進献
807
大同2
33
4.29.筑前観世音寺に留められる
      秋、和泉国の槇尾山寺に入る
809
大同4
35
7.16.京都に入る
      10.3.「世説」の屏風を書き進献
810
弘仁1
36
10.27.上表して高雄山寺で護国の修法を行うことを請う
      奈良・東大寺別当に就任する
811
弘仁2
37
10.27.乙訓寺別当となる
812
弘仁3
38
6.7.狸毛筆四管を献ず
 
7.29.「急就章」「王昌齢集」等を献ず
 
10.29.乙訓寺より高雄山寺に還住
 
11.15.高雄山寺にて最澄ら4人に金剛界灌頂を授ける
 
12.14.高雄山寺にて最澄ら145名に胎蔵界灌頂を授ける
 
12月、高雄山寺に三綱を置く
813
弘仁4
39
3.6.高雄山寺にて泰範・円澄・光定らに金剛界灌頂を授ける
 

10月、「中寿感興詩」を賦し「文殊讃法身礼方円図」「注義」を撰す

 
11月、最澄の「理趣釈経」借覧の求めに答書を送る
 
この年、藤原冬嗣のために興福寺南円堂の鎮壇法を修する
814
弘仁5
40
7.8.「梵字悉曇字母弁釈義」「古今篆隷文体」等を進献
 
7.26.上表して元興寺僧中環の罪を許されんことを請う
 
8.30.勝道のため「沙門勝道歴山水宝玄珠碑並序」を撰す
815
弘仁6
41
4月、常陸の徳一、下野の広智、甲斐の藤原真川らに
真言密教流布協力を求める
816
弘仁7
42
5月、泰範に代わって最澄に書状を送る
 
6.19.上表して高野山の下賜を請う→7.8.勅許あり
817
弘仁8
43
高野山開創のため実慧・泰範らを派遣する
 
「高野建立初結界時啓白文」を撰す
818
弘仁9
44
3月、来日した新羅僧らに詩・書状を送る
 
12.19.藤原園人の死を悼み、追悼の書を送る
819
弘仁10
45
7月、勅命により中務省へ移る
 
この頃、「即身成仏仏義」「秘密曼荼羅教付伝法」等を著す
820
弘仁11
46
5月、先に著した「文鏡秘府論」を抄録し「文筆眼心抄」を撰す
 
10.20.伝燈大法師位に叙せられ、内供奉十禅師に補任される
821
弘仁12
47
5.27.讃岐国満濃池の修築別当に補任される
 
9月頃、満濃池修築完成
 
9.7.唐より請来の両部曼荼羅・七祖像を修復・新造し七祖像讃文
および供養の願文を撰す
822
弘仁13
48
2.11.東大寺に灌頂道場(真言院)を建立する
823
弘仁14
49
1.19.東寺を給預せられる。教王護国寺と号す
 
10.10.東寺に真言宗僧50口を常住させ、他宗僧の雑住を禁ずる
824
天長1
50
2月、神泉苑にて請雨教法を修する
 
9.27.高雄山寺を神護寺と改め、定額寺とする
825
天長2
51
4.8.東寺において毎年夏安居に「守護国界主羅尼経」の
講経を請い許される
 
4.20.東寺講堂を建立する
 
9.25.「大和国益田池碑銘弁序」を撰書する
826
天長3
52
11.24.東寺五重塔建立にあたり、上奏して塔材運搬を勧進する
827
天長4
53
5.28.大僧都に任ぜられる
 
9月、淳和天皇、故伊予親王の追善供養を営むにあたり、
空海、願文を草する
828
天長5
54
12.15.綜芸種智院を創立
 
この頃、わが国初めての辞書「篆隷万象名義」を撰す
829
天長6
55
11.5.大安寺別当に補せられる
830
天長7
56
この年、「秘密曼荼羅十住心論」「秘蔵宝論」を著し、進献
831
天長8
57
6.14.病により大僧都を辞す。勅答あり、許されず
832
天長9
58

11.12.高野山に帰り、穀味を厭い、座禅の生活に入る

833
天長10
59
この年、高野山を真然に付嘱し、実慧に助成せしむる
834
承和1
60
8.23.高野山に毘盧遮那法界体性塔2基を建立するため勧進文を撰す
 
12.19.上奏して宮中真言院において真言法を修せんことを請う
 
12.29.後七日御修法許される
835
承和2
61
1.8.宮中真言院にて後七日御修法を行い、恒例とする
 
1.22.奏請により真言宗年分度者三人を賜う
 
1月、高野山にて病む
      2.30.金剛峰寺を定額寺とする
      3.15.諸弟子に遺告する
      3.21.地上での生を終える
      3.25.仁明天皇、勅使を遣わし弔問
837
承和4   4.6.実慧ら渡唐する円行に、空海の入定を記す書簡を託す
921
延喜21   10.27.観賢の上奏により、空海に弘法大師の諡号を賜う


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