戦国の世当時、瀬戸内海を眺望できる仁尾城の城主は細川土佐守足頼広でした。 ある時、ここに土佐の長宗我部軍が押し寄せてきました。 この土佐軍によってあえなく仁尾城は落城し、頼広は討ち死にしてしまいました。 それがちょうど3月3日であったそうな。 それ以来、仁尾町の人々は3月3日にはお雛様は飾らずに、八朔(旧暦8月1日)にお雛様を飾るようになったそうな。 細川頼広の墓は、仁尾町の金光寺に今も残っています。