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朝廷の心理をも操作した?空海

空海が「御請来目録」を献じてから半年後の4月29日に、大宰府から観世音寺あての符牒で、朝廷から空海に「しばらく観世音寺に留まれ」との命令がくだったといわれています。

その主な理由は、20年間の留学期間を2年で帰ってきた「欠期」が問題とされたためといわれていますが、今となっては真偽の程はわかりません。

別の説では最澄と空海という二人の密教の伝法者が現れたことで当惑した朝廷が、しっかりとした判断を下すために調査する期間をおいたともいわれていますし、空海自身が都での自分の評判が高くなるのを待つためにわざわざ奈良の僧綱所を通じて滞留するようにしむけたという説もあります。

また、符牒には「笈を遠藩に負ひ、大道を耽嗜し、空しく往きて満ちて帰る。優学称すべし。今、帰朝に及んで暫く彼の寺(観世音寺)に住し、宜しく入京の日を待つべし。借住の例に准じて供養せよ」とあったそうです。
どちらかといえば「お褒めの言葉」に近いですから、後者の説が出るのも納得できます。



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