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アカデミックなうどんいかがですか?

日本うどん学会初代会長・三宅耕三
四国香川県丸亀市在住の普通の人。
香川短期大学教授を務める傍ら平成15年「日本うどん学会」を設立、初代会長となる。
讃岐うどんをはじめ、日本のうどんにアカデミックな光を当てた日本で初めての人となるが、現在は会長職を退き、四国丸亀で普通の人として奥さんと仲睦まじく暮らしている。


とってもユニークな普通の人 〜3人目〜

「日本うどん学会」って知ってます?


日本全国のうどんや麺類に関する事柄を「アカデミックに」そして「面白く」研究する目的で、日本で初めて正真正銘の学術学会として、平成15年6月に発足したのが「日本うどん学会」である

この「日本うどん学会」
設立の立役者でもあり、初代会長を務めたのが、今回ご紹介する「とってもユニークな普通の人」三宅耕三さんだ。



「昔と比べると、讃岐うどんは、確かに美味しくなったね。ホント。」(笑)
満面に笑みを湛え、三宅さんが言った。

三宅さんが子どもの頃は、「家の裏の畑で祖母が栽培した小麦を持って、近所の製麺所に行くと、乾麺のうどんと交換してくれた」という時代。
「今のグルメブームとかには程遠い」食糧状況下でのうどんとの出会いだった。

「学会を始めるまでは、もちろん嫌いじゃないけど、正直、それほどうどん好きではなかった」三宅さんに、うどん学会を発会するきっかけを訊ねてみた。



「全てのタイミングが良かった、に尽きるなあ」

讃岐うどんは、大阪万博で全国区となり、1993年発行の「恐るべきさぬきうどん」で
空前の讃岐うどんブームに火がついた。
そして、
香川県外からの「讃岐うどん巡礼」客の急増や、うどん店の県外進出といった、大きな経済効果をもたらすまでになりつつあった。

ちょうどそんな時にうどん学会が設立された


地の利、時の利、そして学界人や財界人の他に田尾和俊氏など多彩な人々との出会いによる人の利。
これ以上無いドンピシャのタイミングで、発会すべくして発会したと言うが、その風潮の中に潜む皆がなんとなく感じていた死角を三宅さんはしっかりと掴んでいた。
そう、皆が感じていた「一過性」である。
文化(カルチャー)であるべきものが「軽チャー」になってしまっては、楽しめるが、長続きはしない。

三宅さんは
、あえて、派手に世間の注目を集めるお祭り騒ぎ的なものに背を向け、会がより「アカデミック」な方向へ向かうように皆の総意をとりつけた。
そして、年に1度行われる全国大会は、学術研究の発表やシンポジウムという形を取り続けている。

発会当初は、一般の方やうどん屋さんにはイベント団体や販促協会と混同され「うどんツアーはいつ開催されますか?」「どんな販促に参加できますか?」といった類の問合せが多く寄せられ、新聞等でも面白おかしく取り上げられることが多かったそうだ。

しかし、現在は少しずつその趣旨を理解してくれる人も増え、新聞等での紹介記事の内容も変わってきたという。




「発会までは順調でしたが、発会後は大変でしたね」
設立直後は、
手も足りず、うどん学会内の各種調整業務の他に、会費の回収管理・書類作成郵送からはじまり、問合せの電話の応対まで、実務的な仕事も全て会長が行っていたそうで、目の回るような忙しさに追われる毎日となる。

ある時、地元の米屋さんから電話がかかってきて
「昨今は猫も杓子も”うどん”ばかりで、けしからん!もっとお米を取り上げてくれ!」
とお叱りの電話がかかってきた時は「お米屋さんの気持ちはよく理解できるのですが、苦笑いするしかなかった」(笑)とのこと。
聞けば聞くほど、実に大変である。



最近は「日本こんにゃく協会」、「アジア麺研究会」や「富士宮やきそば学会」など他の団体との交流も活発な日本うどん学会。
そのあたりの拡がりについて質問してみた。
「日本うどん学会を設立した当初は、他の麺を受け入れるかどうか葛藤はありましたが、今は全くありません。会則も変更しましたし、うどん=麺学会の方向性に向かうでしょう。」との答え。

秋田県の「稲庭うどん」、群馬県の「水沢うどん」、三重県の「伊勢うどん」、愛知県の「きしめん」、奈良県の「三輪そうめん」、福岡県の「博多うどん」など全国規模で普及しているうどんの研究進捗具合は、分野によって大きな差異が見られる。
とりわけ、自然科学、地理から見た歴史分野からのアプローチは先達者によって学問体系が確立されつつあるが、食文化、経営・商業等のサイドからの切り口による学問的研究は十分と言い難く、解明すべき点も残っているという。

なるほど、うどんの文化、地理・歴史の研究者はもとより、実業界その他の分野で「うどん=麺」に関心を有する様々な人々が集うのは必然の方向であるのかもしれない。



三宅さんは家庭の事情もあり、昨年(平成19年)、務めていた日本うどん学会の会長職を自ら退いた。

今も理事職として、学会に変わらず尽力している三宅さんに、退任後の感想をお聞きすると
「忙しい時期もあったが、人にも恵まれとてもやりやすかった。アカデミックな方向で進んできたので、ブームなどに流されることなく堅実に活動できたしね。全国各地の大学で、卒論テーマに以前はほとんど見られなかったうどん関係の論文がここ2、3年どんどん増えてきていることはうれしいですね。あと、国際的な拡がりの芽も出てきたし。設立時に選んだこの方向性については、自信から確信へと変りつつあるかなあ。今後は、中央の学術誌や世界に通用するような原著としての研究成果が出てうどん(=麺)が文化として根付いてくれると最高ですね。」とのこと。

日本うどん学会を始めたことによって、ご本人の生活で変わったことは?と訊ねてみた。
「日曜日にうどん屋巡りをするようになりまして…」
もともと、うどんマニアではなかった三宅さん、うどん屋巡りも最初は会長としての責任感からなんとなく始めたというのが正直なところらしい。
しばらくして、一人で巡るのも寂しいということで、毎回奥さんを誘ってうどん屋巡りをするようになり、今では夫婦揃ってのカップリング・ツアーが恒例とか。
「おかげさまで、夫婦仲が『冷ぶっかけうどん』から『温ぶっかけうどん』に変りましたよ(笑)」

仲がよろしいようで、三宅さん…ご馳走様でした!



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