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東大寺別当職の空海

正確な月日はわかりませんが、810年(弘仁元年)に、空海は高雄山寺に身を置いたまま奈良東大寺の別当に就任しています。

奈良の大仏様で有名な東大寺は、当時最澄の天台宗に圧されて旧勢力と言われてはいたものの、華厳学においては唐の寺々にまさるとも劣らない巨刹であり、僧綱所の長老たちが集い華厳を専攻する学生達が四六時中勉めている奈良仏教界の頂点に位置する大寺でした。
高雄山寺に入るまでは無名の僧である空海が、勅命によりその東大寺の別当(長官)に任ぜられたのです。

通常は考えられない人事といえますが、最澄の攻撃(?)により困り果てていた奈良仏教勢力が新星空海に大きな期待をもっていた結果、朝廷と空海に働きかけて実現したものと考えられています。

日本の仏教は中国を経た外来のもので、隋・唐にならい国家仏教を建前としていましたので、国営または官の庇護のもとで営まれていました。
国家が最澄の持ち帰った新しいものを喜び、旧いものとして奈良仏教を完全に見捨てるとなれば、国家仏教としての権威を失うばかりでなく財政上も大変なことになるという切羽詰った状況があったようです。

「東大寺縁起」によれば、空海は東大寺の別当を4年間務めました。
空海は東大寺境内に真言院を建立する等、華厳の伝統を生かしつつ、東大寺に密教的要素を加えていきました。

空海が東大寺に与えた影響は現代まで受け継がれてます。
大仏様の前で毎日あげられている経は、華厳の経ではなく密教経典のひとつである「理趣経」だそうですし、僧としての初等課程において「四度加行」とよばれる密教の修行が必須の修行として今なお行われています。

空海が別当職になることで、奈良勢力が危機を切り抜けたことを暗示しているのではないかと考えられる蜂の伝説があります。

東大寺には大きな蜂が出て、僧を刺し殺す等したため、それを恐れた僧たちは寺を離れ、参拝者の足も遠のいて、大いに困っていた。
ところが、空海が東大寺別当になると、たちまち蜂は退散し、寺を捨てた僧たちも戻り、東大寺はもとの隆盛を取り戻したそうな。

この話の中に出てくる蜂を最澄たちの新興勢力と置き換えて考えてみると、なかなか興味深い逸話となります。



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