【特別企画】大宰府の空海
〜讃岐うどんをもたらしたのは、はたして空海か?〜
讃岐うどん起源考 大宰府の空海(草案)
(一)真魚
(二)東長密寺
(三)観世音寺
(四)日本密教
(五)分身
(六)善通寺
真魚に持たせる経典・仏画・法具が写されていった。多度に帰る日も近い。
ある日空海は長安の僧房生活を語った。作務の合間の点心に「剪刀麪」というものを食べていたというのである。
「讃岐では今も大麦をそのまま煮て食しておるのであろう。彼の地は小麦が主で、石臼で粉にして水で練り棒で延ばし、細く切って椹(椎茸)や貝などと醤で煮て食しておった」
そう言いながら空海は2尺あまりの丸い棒を置いた。
真魚はこの寺で食べた不思議な食べ物を思い出した。話に聞いたことのある?飩(こんとん)ともちがう。
「これを持って行け。大唐国でさようなものを食していると伝えよ。食物に美味を感ずるのも妙適清浄に等しく、菩薩の位なることを知らしめよ」
8月になると真魚は多度に帰っていった。わずか5ヶ月で容貌・挙措とも見違えるような僧形になっていた。もはや「空海」を名乗っても誰も疑わないであろう。讃岐の地に大寺を開き、密教を盛んにして衆生を益することを思うと足取りも軽い。そのあとを、くだんの犬が嬉々として追っていった。
この年の12月朔日、「空海」によって善通寺の斧始(起工式)が執り行われた。空海は移ったばかりの和泉国・槙尾山寺でこの知らせを聞いたにちがいない。6年後の弘仁4年(813)6月15日に落慶する。
落慶法要で饂飩が振舞われたのはいうまでもない。
完
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本サイトは『麺の世界』奥山忠政編集長と共同で、物語「大宰府の空海」のネット制作に挑戦中です。
上記は奥山忠政編集長による第1回目の粗筋(草案)になります。
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2007年10月 初代先達 真魚
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